生活の中の役割と瞑想
最近インドカイヴァリヤダーマでのSwami Anubhavananda jiのスピーチを見ていて、非常に興味深い部分がありました。
全て興味深いことだらけでしたが、その中でも特にしっくりきた部分を少しだけご紹介したいと思います。
スピーチの中でスワミジは”play meditation"として、いくつかの実践課題を用いていました。
①自分が夫や妻になったところをイメージしてみましょう。
どんな考えが起こってきますか?
②自分が両親または子供になったところをイメージしてみましょう。
どんな考えが起こってきますか?
③誰でもない者として留まってみましょう。
どんな考えが起こってきますか?
①においては、例えば夫として仕事を続けて妻を養わなくては・・・、今晩の料理を作らなくては・・・などの役割に付随した考えが起こってくるでしょう。
②では親として子供を叱ろうという思いや、子供であればしたくもない勉強をやらなくてはなどど思っているかもしれません。
しかし③においては・・・何の考えも起こるはずがないのです。なぜなら何者でもないからです。
私たちはずっと自身の役割とともに生きています。職業、姉、妹、夫、妻・・・友人など。
そして瞑想中に何か思考が起こったときは、おそらくその思考は何らかの自分の役割に付随して起こっているはずなのです。仕事の心配、家族への怒り、不安、友人への思い・・。
瞑想を行おうとすると大抵の場合、多くの思考が頭の中を駆け巡り集中が妨げられるといった経験がある方がほとんどだと思います。私もそうです。
しかしその時に、特定の思考に影響している自身の役割を、一旦脱ぎ捨て置いてみましょう。すると自然と思考も起こらなくなってくるのを経験できるかと思います。
いかに普段私たちが自分自身を役割と同一視し、その影響にさいなまれているか。
もちろん役割を持って生きていくこともこの世の中では大切なこと。
上手くバランスをとりつつ生活していけると良いなと思います。
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