アーサナ中に"考えない"ということ。考える努力をしないことで、自然と整う。なんてステキなことでしょう。

ヨーガのある暮らし

「考えない」ということ

最近アーサナについて勉強していて、自分の中で混乱していた部分がありました。

パタンジャリのヨーガスートラにおいて、アーサナについて説明している句が3つあります。


PYSⅡ−46 Sthira Sukham asanam

落ち着いて無理のない姿勢がアーサナである。

PSYⅡ−47 prayatha sauthilyananta samapattibhyam

努力を緩め、無限(無辺)なものに心を写す。

PSYⅡ−48 tato dvandvanabhighatah

そのことで葛藤にさいなまれなくなる。


PSYⅡ−46に関しては以前もブログで取り上げたことがありますので、今回はPYSⅡ−47、48。

さて・・・アーサナにおいて「努力を緩め、無限なものに心を写す」・・・何のこっちゃって感じではないでしょうか?


まず「努力を緩める」努力とは何のことでしょうか?少し難しい話になりますが、「努力」というのは私たちの脳の上位中枢である大脳新皮質という場所の活動です。普段二足歩行の私たちがバランスを維持するために重要な役割を担っています。しかしこの部分の誤った作用は緊張の不調和の要因にもなっているのです。


一方、上位中枢である大脳新皮質に対して、下位中枢すなわち延髄・橋・小脳・中脳・基底核といった脳の部位があります。この下位中枢は、姿勢反射や心身の統合をつかさどる大切な場所なのですが、人間の場合、上位中枢の誤った抑制作用によって自由に動けない状態にあるのです。


そこで、「努力」をしている上位中枢の働きを最大限に緩め、下位中枢が自由に働くようアプローチする必要が出てきます。


その方法が「無限なものに心を写す」ということ。

一言でいうと「何も考えない」ということ。

でも「何も考えない」って…非常に難しいことですよね。

クラスの中でも日常の色んなことを考えたり、アーサナに集中していたとしても自分の身体の硬さに対して「もっと柔らかくなりたい」だとか、「あの人は綺麗にポースとってるのに自分は・・・」など比較してみたり・・・。そして無理に身体を引っ張ってみたり、必要以上に身体に力が入ってしまう結果になってしまうのです。

無意識であっても、アーサナ中に姿勢に意識が向いていると、上位中枢の影響を受けてしまいます。


そこで私たちが出来る実践方法は、「何か他の場所に心を向ける」ことです。

といっても、何か感情を伴うことに心を向けてしまうと、緊張が生まれ上位中枢の影響を受けてしまいます。「感情が伴わない、何か他の場所」・・・カイヴァリヤダーマでは、それを「鼻の中を流れる息の出入りを鼻の中の一部分で感じ取る」という方法で行います。


私は方法は何となくカイヴァリヤダーマに居た時から行っていたのですが、このような理由によってということを理解していませんでした。

でも最近この方法でアーサナを行うことで、姿勢を深めようとか、もうちょっと伸ばそうとかすら考えることを止めるようになりました。姿勢の最終形(あくまでもテキスト的な最終ではなく、自分のレベルにおいての)で、意識を鼻の下に持って行って姿勢をただ単に維持します。すると不思議なことに自然とポーズが整ったり、深まったりすることを経験したのです。


何も努力をしない状態なので、身体的にも何かに逆らうこともありません。自分の頭の中も何も考えていないので「もっと伸びなくて悔しい」などといった葛藤もありません。


自然とPYSⅡ−48のいう、葛藤にさいなまれなくなる状態になっていました。

昨日のヨーガクラスでは、この部分をみなさんと共有し実践の練習を行ってみました。

深い集中で取り組まれていたし、今までとは違う感覚を感じることが出来たのではないかと思います。

おそらくもっともっと深い意味もこれから出てくるかとは思うのですが、ひとまず私のレベルでのヨーガの練習で感じたこと、学んだことをシェアさせて頂きます。

ありがとうございます。





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